今日まゆみから3日ぶりのメールが届いた。
「昨日から腎炎になって熱が下がらんっ。熱が出た時はコロナかと思ったけど違って良かったわ」。
わりと元気そうにとれるメールだった。
3日前は
「飼っている老猫がやっとウエット(餌)を食べるようになった!私の勝やあ」だった。
猫のメールから腎炎のメールの間が3日間。
急性の腎炎だったのだろうか。
私はすぐ返信した。
「大変やね。必要なものがあればいつでも言って。届けるから」
次の日もその次の日もこのメールの返信は来なかった。
いつもならありがとうの一言でも来るのに。
返信が無いままの2日目。私のスマホが着信を告げる。
彼女と共通の友人の一人だ。
この友人と話すのもものすごく久しぶり。
でもかかってきた時間が夜の9時過ぎ。
嫌な予感がする。
「ねえ、まゆみが亡くなったって聞いたんやけどホントなん?」
え?
ちょっと待って?私にメールが来たのって2日前の事。
確かに体調は崩してたけどどこ情報?と聞くと自分の上司からの情報と言う。
この上司の息子さんとまゆみの次男が友人らしい。
その息子さんに次男君が泣きながら母親が亡くなったこと、葬儀は家族だけでひっそり行う事を父親に話したという。
まゆみの子どもたちを小さい頃から知ってるし冗談でそんなこと言わないとはわかっていてもお願いやから悪い冗談でしたって言ってほしい。
信じたくないけれどメールの返信がない。
だからもう一度メールを送った。
「体調はどう?何かあったらいつでも言ってね」
1時間経っても2時間経っても返信は来ない。
翌日、まゆみの家はひっそりと静かでリビングのシャッターは明るいうちから閉まっている。彼女の車だけが残され他の家族の車はお出かけ中。
それが何を物語っているか。
ねえ、嘘だと言って!
お願いだから私に返信をして!
窓から顔を出して何してるん?って笑ってよ!
信じたくないのに信じてないのに何で涙が出てくるの?
信じたくない気持ちと突きつけられる事実が折り合わない。
家族から本当のことを聞くまでは信じない、信じたくない。
だから泣くな自分!。
明日朝起きたら私のスマホに返信が来てるかもしれないじゃないか。
ごみの日に私の家の前を通って「おはよう」って挨拶できるかもしれないじゃないか。
友人の電話から5日が過ぎた。
返信はとうとう来なかった。
最期に届いたメールを何度も読んだ。
勢いのある文章からは想像がつかない。
あれ?おかしいな、にじんで文字が読めない。
あぁ、そうか。
もう二度と返信は来ないんだ。
たわいない話も彼女の笑い声も二度と聞けないのだ。
私は彼女のメールが消えないように保存した。
「息子たちは心疾患あるからコロナじゃなくて良かった」
その息子たちに伝わっているだろうか。
伝えてあげたい。
最期のメールはあなたたちのことが書かれていたんだと。
---------------
1月28日に友人が逝ってしまいました。
あまりにも急な出来事で未だに信じられません。
だけどいつか私が死んだらきっと笑顔で迎えてくれると思います。
上の文章は事実を織り交ぜたフィクションです。