2021年3月10日水曜日

それでも大好き (2012年10月13日作品)

 いきなりそれは始まった。最初は何が何だか分からないまま泣く事も忘れ呆然とするしかなかった。

なぜ?どうして?自分がいったい何をしたのか。
いくら考えても分からない。分からないよ。
鬼のように歪んだ顔の母の手が頭や顔やお腹に降りかかって来る。
だけど知っている。もう少し辛抱すれば収まる。収まってしまえばきっとまた自分に笑ってくれる母に戻ってくれる事を。

虐待。
何かの拍子にスイッチが入るようにそれは気まぐれに襲いかかってきた。
またいつものように嵐が過ぎ去るのを待っていたのだけれど今回はちょっと打ち所が悪かったみたいだ。どんどん意識がなくなる。
僕の身体が悲鳴をあげている。同時に母の心も悲鳴をあげているようだった。
何がいけなかったんだろう。
近所の人が警察に通報したのだろう。
僕は病院に運ばれ母は警察に連れて行かれた。

「お前のせいだ。お前がいなければ。お前なんか生まれてこなければ良かったんだ」

何度となく聞かされた言葉。
何度も言われるうちに何も感じなくなってしまった。

そっか。母がそう望んでいるならそれに従おう。
そう思ったら気持ちが楽になった。

今度生まれてくる時は望まれて生まれてきたい。
「かあさん」最期に思い浮かぶのは母の笑った顔。
懐かしいな。それでも大好きだよ

2021年3月4日木曜日

かくれんぼ (2011/11/28作品)

編集部より出された3つのお題を使って作品をつくる「三題話」「まつたけ、化粧、虫」

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季節は新緑が似合う時期を過ぎ、木々が赤や黄色と自己主張をし始めた頃のお話。

山のどこかで松の木母さんの声が聞こえた。
「さあ、坊やたち。これからかくれんぼを始めるよ!頭は絶対出しちゃだめ。頭を隠したい子は落ち葉を頭にかぶせときな。ほら足音がそこまで来ている。大人しくするんだよ」
カサカサと足音と共に今年も松茸を探しに人間がやってきた。


子ども達はわくわくと身を潜める。
毎年同じお爺さんが腰を曲げながら松茸を探しにやってくる。本当に必要な分だけ捕っていく。そして松の木を見上げいつも声を掛けてくれるのだ。


「松の木よ、今年も豊作かい?お前の周りには毎年たくさんの松茸があるから助かるよ」
それに応えるように風が松の葉をザザーッと揺らす。
「どれ、この辺りかな」と一つ松茸を籠に入れる。「わあ、見つかっちゃったあ」楽しそうに籠の中で騒ぐ。子ども達が籠の中でぎゅうぎゅうと身動きできなくなる頃、お爺さんは痛む腰をトントンと叩き帰り支度をする。
「松の木よ、今年はこれだけ頂いて行くよ。また来年も頼むよ」そう言いながら松の木を軽くポンポンと叩き山を下りていく。


昔松の木はこのお爺さんに傷ついた枝を治療して貰った事があった。その翌年からこのお爺さんにだけ松茸を分けているのだ。可愛いわが子をこの人になら渡せると思いながら。


根元にいる虫達は「今年の秋もそろそろ終わりだね」などと冬支度に忙しい。
もうすぐ冬がやって来る。お爺さんが歩いた山肌には雪化粧。一面真っ白になるだろう。季節は巡りやがて春になり眩しい日差しの夏を迎える。着々と時は過ぎまたかくれんぼの秋がやって来る。


きっとお爺さんはまた話しかけてくれるだろう。


「松の木よ、今年も豊作かい?」


「また来年も頼むよ」と。


はい、来年も再来年もあなたが来て話しかけてくれるならお待ちしています。
子ども達とかくれんぼをしながら。

そう季節の風に乗せた。 

春夏秋冬 廻りゆく命 (2012/5/11作品)

それは一通の封書が私宛に届いた事から始まった物語。差出人の名はどこにも書かれていなかった。

普段ならそのままゴミ箱行きなのだが、開封しようと思ったのは、あまりにも自分の名が綺麗な文字で書かれていたからだろう。
伸び伸びとして流れるようにしたためられている文字。
こんな綺麗な字を書ける人はいったいどんな人物なのか興味が湧いたから。それは奇妙な内容だった。


この世に生を受け、愛情を知る。
自分の世界が全てで他の世界などどこにも無いと思っていたのではないだろうか。
何の悩みも無く、ただただ生きる事だけを使命としていた。暖かい愛情を与えられながら。
これからいったいどんな人生を歩むのか無限の可能性を秘め幸せを感じていた。


初めて好きな人が出来た。人の気持ちの難しさや切なさを知った。いろいろな悩みもあった。
自分の周りにはたくさんの友人や肉親がいるのにも関わらず何故か孤独感と戦っていた。
誰も自分の事を分かってくれない。他人が羨ましいと思ったりもした。
その時は気付けなかった。自分が相手を理解しようと努力していなかった事を。
自分の狭い世界が全てだと驕っていた。

ある日、大好きな友達と大喧嘩した。本音をぶつけ合った。しばらく口も利かなかった。
そんな時素直になれず、独り涙を流した。
改めて友達のありがたみや大切さを知った。
いろいろなモノに守られながら人生を謳歌していた思春期だった。


愛する人と巡り合い結ばれた。
小さな家族も増えた。無防備に愛情を求めてやまない小さな命の偉大さを知った。
無垢で穢れを知らない赤ん坊はどんなものよりも大きな存在だった。
この子のためなら自分をも犠牲にできるとも思った。
守ってあげたかった。ただ笑っていて欲しかった。
わが子の成長と共に自分も成長していった。
その度に今まで見えなかった事や気づきもせず通り過ぎていた些細な物事に気づかされた。

自分は独りで生きてきたのでは無い。

周りの愛情に気付けなかっただけだ。親の存在の大きさを知った。
何て自分は勝手気ままに過ごしていたのだろう。

子どもが自分のそぐわない事をするようになった時、思わず手をあげてしまった。
痛かった。手より心が痛かった。自分の情けなさを思い知る。
子どもの綺麗な瞳は有りのままの自分を映し出していた。


自分でも老いたなと思うようになった。
目も悪くなったし、所々身体の痛い場所も出てきた。
何より思い出せない事柄が多くなってきたように思う。
今まで大きな病気もせずここまで生きてこられたことは何よりも幸せなことだ。

あの時の小さな我が子はいつの間にか親になっている。自分にも孫ができたのだ。
あと何年 孫の成長を見る事が出来るだろう。
お宮参り、幼稚園入園、小学校卒業。どんどん孫は大きくなり自分はどんどん年老いた。
中学校へ通うようになり、あっという間に高校を卒業し立派な大人になった。
自分はそれを病室で見守ることになる。

あと何年、あと何カ月、あと何日生きていけるだろう。
最近夜眠るのが怖い。
もしかしたら朝目覚めないのではないかという恐怖感があるのだ。
まだ自分の人生にやり残したことがあるのかもしれない。
だから起きられない事が怖いのだ。こんなに長く生きてもまだ何をしたいのか自分では分からない。
幸せな一生だった。
平凡で何の変哲もないどこにでもある人生だったけれど、それが自分の生きた道だと誇れる。
いまさら新しく何かをしようとは思わない。なのに何が怖いのだろう。

もうすぐ自分は命が尽きる。その前にやり残したことがあるのだろうか。
毎朝目覚めた時に感じる安心感と疑問。自分の細くなりすぎた手をじっと見つめる。
何故か涙がこぼれた。
この手の中に自分の人生が詰まっているのだ。
誰にも渡せない自分だけの生きた標(しるし)。涙だけでは無い、目が霞んで見えなくなってきた。

誰かが自分を呼んでいる。それにはもう答える事が出来ない。
自分はとうとう旅立つ時を迎えたのだ。
ほらそこに手を差し伸べてくれる綺麗な女神が見える。

その女神が自分に問う。最期に伝えたい言葉はありますか?と。

あぁ、そうだ。自分はまだみんなに伝えていなかった。だから今伝えよう。
『ありがとう』と。そして『幸せだったよ』と。
きっと声にはならなかっただろう。それでもきっと伝わったに違いない。
心がこんなに晴れ晴れとしているのだから。
心からありがとう。この命が誰かに受け継がれる事を信じて。


手紙はそこで終わっていた。何と奇妙な内容なのだろう。
気づけば私は涙を流していた。とめどもなく流れ落ちる涙。
送り主はこれを私に読ませて何が言いたかったのだろう。それはいまだに分からない。
もしかしたら私が死ぬときに初めて理解できるのかもしれない。それならまだまだ先の話だ。
きっと分からないままでいいのかもしれない。相変わらず綺麗な字が並んでいる。
乱れることもなく淡々と綴られた文章。

それを封筒に丁寧に戻し、引き出しに閉まった。いつしかそれは私の心の宝物になった。
手紙の内容は理解出来ないままに。