2015年10月24日土曜日

私の話を聞いてください

 あの、初めまして。悟と言います。27才です。
私の話を聞いて頂けますか?その後で感想を聞かせてほしいのです。
あれはとても蒸し暑く座っているだけでじっとりと汗が出てくるような夏の夜でした。
その日はいろいろと間違えたんだと思うんです。
 仕事帰りにいつもの駅で見たポスター。
普段なら素通りしているはずなのについ目に止めてしまったのが最初の間違いでした。
その駅の近くで行われる花火大会のポスターで日付は目に止めた日だったのです。
帰ってもすることが無かった私は気まぐれにその花火大会に行くことにしました。
少しだけ見てすぐ帰るつもりで。
 花火大会に行く人が駅から吐き出されていく中、人波に乗って自分も移動しました。
花火の打ち上げ場所が近づくにつれ屋台の数も増えていき目や鼻を楽しませてくれました。
 いろいろな屋台の前を通り過ぎていくと視界に赤いものが目に入りそちらに顔を向けると10歳くらいの女の子が佇んでいたんです。真っ赤な浴衣を着た子でした。
親とはぐれてしまった迷子かと思ったので声をかけたんです。
そう、いつもならそんなこと他の誰かに任せるのに。それが二つ目の間違いでした。
 「迷子?」と一言だけその女の子に聞いてみました。
女の子は一瞬びっくりした表情を見せましたがすぐに小さくうなずきました。
喉が渇いているかと思い屋台でかき氷を買ってあげました。
表情の少ない子でしたが喜んでいるようでした。名前を聞いたらミカと教えてくれました。
 二人で花火を見るためになるべく空いている場所を目指していると小高い場所に寺があるのを見つけたので、そこなら少しは空いているかと思いそちらに足を向けました。
寺へ続く階段の両側にはお地蔵様がびっしりと並んでいました。
所々に蝋燭で明かりがともされていたため暗さはそれほど気になりませんでした。
気になったのはお地蔵様が並んでいた事で、何となく薄気味悪かったのを覚えています
ミカを見ると怖がる様子もなく私に警戒するわけでも無く大人しく着いてきます。
 階段を上りきり寺へ入ってみると思いの外明るくて花火を見に来たであろう人も居たことに安心しました。
 花火ですか?綺麗でしたよ。それはもう見事なものです。
寺の住職がいつの間にか私の横に来て一緒に花火を見ていました。
住職が私に聞くんです。
 「今日はどうしてここで花火を見ようと思いましたか?」って。
 だから答えました。
 「ここへ来る前に迷子の女の子を見つけたのでなるべく人の少ない所で花火を見ようかと思ったんですよ」と。
「はて?その女の子というのはどの子ですかな?」と妙なことを聞いてきたんです。
「この子です。ミカと言って赤い浴衣が似合ってますよね」と自分の後ろにいるミカを指さして答えたんですがね、どうも住職の様子が変なんです。
「そうですか。あなたがミカをここまで連れてきた来て下さったのですね。この子は不憫なこでしてね、普通の人には見えません」
 私は何を言われているか分からなくて周りを見渡したんですが、くもの子を散らしたように人っ子一人居なくなっていたんです。
 「あなたにはミカが見えた。それはこの子にとっては幸運だったのでしょう。この子はね、3年前の花火大会の日に事故にあって亡  くなったんです。お母さんに浴衣を着せてもらってはしゃぎ過ぎたのでしょう。誤って道路に出てしまったところに不運にもトラックが…。浴衣は真っ赤に染まっていたそうです。よほど楽しみにしていたのか成仏出来ずに苦しんでいる。この子の母親も悲しみのあまり体調を崩して寝たきりになってしまいました。時々空を見つめて亡くなった子どもに語り掛けていることもあるそうです」
 私はその話を聞いて背後にいるはずのミカを振り返りました。真っ赤な浴衣を来た少女は少しだけ笑っているように見えました。
 「私には普通の少女にしか見えません」と思わずつぶやいてしまいました。だってそこにいるのに、実際そこにいて私の買ったかき氷を食べてここまで一緒に歩いて来て一緒に花火も見たのに。いつの間にか私は泣いていました。悲しくて寂しくて可愛そうで。
ミカに話しかけました。
 「ミカ、君はこれからどうしたい?ずっとここに留まりたい?それとも成仏してお空へ行きたい?私は今日の事は決して忘れないよ。もし生まれ変わったら私に会いに来てくれるかい?その時はまた花火を見てかき氷を食べよう。君のお母さんも苦しんでいるよ。君を助けられなくてずっと後悔しているんだと思う。だから少しだけお母さんを楽にしてあげよう」
 心地よい読経が耳に入ってきました。
すると今まで表情が乏しかったミカが満面の笑みを浮かべていました。
 あぁ、この子は笑うとこんなに可愛かったんだ。
 思わず抱きしめました。でも体温も無く、すぐに眩しい光に包まれてミカは消えてしまいました。
 そこまでで私はどうやら気を失ったか眠ってしまいました。
気が付いたら自分の部屋のベッドで次の朝を迎えていたのです。
 気になってミカと一緒に花火を見た寺へ行ったのですが、そこには寺なんてありませんでした。
 引き返そうと思い歩き出すと足に何か当たりました。
あの日ミカに買ってあげたかき氷に付いていたストローでした。
確かにそれが私が買った物じゃないのかもしれません。でもそれを見たときミカの笑顔が見えた気がしたのです。
 これは本当に私自身が体験したものだったのでしょうか。
 それとも夢だったのでしょうか。

誰かいる

 不思議な体験というのは誰にでも一つや二つあるのではないでしょうか。
そういう私にも説明がつかない経験をしたことがあります。
その中の一つをお話しましょう。
それは新しく引っ越しした先でのこと。
昼間部屋に一人でいるはずなのに何故か他にも人がいるような気配を感じる日がありました。
それは昼夜関係なく一人でない時にも家族以外の気配を感じるのです。
しかし特別何か不都合がある訳でもなくただ気配だけを残していくのです。
「気のせい」と思えば思えなくもないのですがどうしてもそう思えないものがあるのです。
ある日リビングでくつろいでいると娘が「あれ?誰かほかに居るような感じがする」というのです。
その時は私と娘の二人だけだったのに。
やはり気配だけを残しているのです。
別の日、車の助手席に息子を乗せて走っていると偶然近所の人が後ろを走っているのに気がつきました。
後日その人に聞かれたのです。
「この間3人でどこへ出かけたの?」
「3人?」
「ほらこの間私の車が後を走った日」
その日は息子だけしか乗せていませんでした。
後部座席に一体誰が乗っていたというのでしょう。
もちろんバックミラー越しには誰も映ってはいませんでした。

残されたオレンジジュース

 不思議な体験というのは誰にでも一つや二つあるのではないでしょうか。
そういう私にも説明がつかない経験をしたことがあります。
その中の一つをお話しましょう。
そう、あれはかなり昔のこととなります。
その当時は築40年の旧公団住宅に住んでおりました。5階建ての4階で間取りは3K。
ふた間続きの和室は襖を外し子どもがどこで遊んでいても目が届くように一部屋として使っていました。
娘は幼稚園へ通っており保護者が園までの送迎をし、通う園児は必然的に近所の子が多くなります。
保護者同士の仲もそこそこ良く同時に子どもたちも仲が良かったのでお互いの家に遊びに行ったり来てもらったりすることが盛んだったように思います。
多少煩わしさはあったもののそれが当たり前となっておりました。
そんなある日、どういう話の流れだったか忘れてしまいましたが、自宅に子どもの友達数人に遊びに来てもらった時のことです。
今振り返ればおかしなことばかりですがその時は全く気付くことはできませんでした。
季節は夏だったかと思います。
ちょうど今日のように天気も良く日差しもきつい、そして多少の蒸し暑さも感じるような日でした。
私は子どもたちにオレンジジュースを用意しました。
子どもの人数を確認しその数だけコップにジュースを注ぎ、座卓に置きました。
遊んでいた子ども達はそれぞれジュースに手をつけます。
4階ということもあり窓からは夏の風が時々吹いていました。
その後も楽しく遊んでいる姿を眺めていたように思います。
眺めていたのだと思うのです。
夕方になると子どもたちの母親が迎えに来て一人また一人と帰って行きました。
最後の一人が帰ってしまうと急に静かになった部屋に違和感を感じました。
もう一度部屋を見渡すとオレンジ色が目に飛び込んできました。
良く見るとテーブルの上のオレンジジュース。
私が置いたままの状態でした。
他のコップはすべて飲み干されて空。当然部屋にいた子どもたちが飲み干したのです。
おいしそうに飲む姿も見ていました。
テーブルの上には出したお菓子も食べられた後の包み紙が散らかっています。
普段なら小さな子どもが走り回ったりすると危ないのでコップなどはすぐ片づけるのですがその日に限って子どもたちが完全に帰ってから片づけたのです。
1杯だけ飲まれずに残っていたオレンジジュース。
なぜ私自身がそのことに最後まで気付かなかったのでしょうか。
なぜ残っているジュースを欲しがる子が一人もいなかったのでしょうか。
やはりそのジュースを飲むべき子がこの部屋に居たとしか思えないのです。
用意したジュースの数ですか?5つです。
でもね、子どもたちは幼稚園から私の車で連れてきたのです。
助手席に自分の子、後部座席に3人。
楽しそうに自宅で遊んでいた子どもたちに当然のことながら知らない顔はありませんでした。

2015年10月23日金曜日

燃え残った千羽鶴

 小学校の通学路に毎朝欠かさず黄色い旗を持って子ども達の登校時間に立っていたおばさんがいた。
みんなで緑のおばさんと呼んでいた。
誰が名づけたかは分からないけれど高学年の子がそう呼んでいるので自然と自分達もそう呼ぶようになった。
それこそ雨が降っても雪が降りそうな凍てついた朝でも必ず学校がある日は同じ場所に立って子ども達の登校を見送ってくれていた。

私たちは毎朝、緑のおばさんに「おはようございます」と挨拶をしたものだった。
そうすると「はい。おはようございます。気を付けていってらっしゃい」とにこやかに答えてくれた。
挨拶しかしたことがないおばさんだったけれどみんなおばさんが大好きだった。
同時にそこにいるのが当たり前だった。
いつもニコニコを笑って黄色い旗を軽く振ってくれていたことを覚えている。
ただそこに居るだけで安心できた。
月日が流れ卒業する子もいれば入学する子もいる。中学校へ進学してもこの道を通って学校へ行く中学生達もいた。
やっぱりニコニコと見送ってくれていた。

いったい何人の子どもたちを見送っていたのだろう。

ある日、緑のおばさんが病気で入院した。その事を知った子ども達は早く良くなってくれるにみんなで千羽鶴を折った。
いびつな鶴もあれば綺麗な鶴もある。いろんな色の鶴が仕上がった。

代表者の子ども数人が出来上がった千羽鶴を緑のおばさんが入院している病院に行き手渡した。
緑のおばさんは涙を流して喜んでくれたらしい。
大事にするとも言ってくれた。ベッドのそばに看護師さんに手伝ってもらいながら千羽鶴を吊るしていつでも眺められるようにしたと聞いた。
渡した子ども達も早く退院して欲しい事を伝え病院を後にする。

その数日後、緑のおばさんは急死した。病名は知らない。子どもの自分が知らなかっただけかもしれないけれど。
お葬式の話が子ども達の間で話題になった。子どもが世話になったと数人の保護者も葬儀に参列した。
棺の中には子ども達が贈った千羽鶴もご家族の手で入れられた。

緑のおばさんは火葬され荼毘にふされた。
骨になった緑のおばさんを見て親族や数人の保護者は息をのんだ。

燃えてなくなるはずの千羽鶴が入れたままの姿で残っていたからだ。
その後の千羽鶴の行方は誰にも知らされることは無かった。
同時私はあまりにも子どもだったため知ることが出来なかっただけかもしれない。

何故一緒に千羽鶴を持って逝ってくれなかったのだろう。
今となっては知る由もない。

やはり自分がまだ両手が余る年齢だったから分からないことが多かったのだろう。
緑のおばさんの立っていた空間は色濃くそこにあるのに寂しい場所になってしまった。

ただ「行ってらっしゃい」と言う緑のおばさんの笑顔だけは心に残っている。

にぃにと一緒(笑顔シリーズ3)

ここどこ?知らないおじさんと見た事無い顔だらけ。
ママは?
きょろきょろと探したけれど見つからない。
「菜々美、今日から僕たちと一緒に暮らそう」
そう言ってくれたのがにぃにだった。
その日からにぃにとはいつも一緒。
にぃにが学校へ行ってる時はつまらない。
子猫を触った。
いつもにぃにがしてくれるようになでてみた。
ペロンとされた。
びっくりしたけど何だか可笑しかった。
にぃにもなでてくれるかな。
にぃにと早く一緒に遊びたい。
にぃに にぃに にぃに
にぃにと一緒。
一緒がいいな。
にぃにと子猫と菜々美。
いつも一緒。
ずうっと一緒。

園長の苦悩と期待(笑顔シリーズ2)

今日、また小さな女の子を引き取る事になった。
まだ3才と言うのにこの子は大人へ甘える事を諦めるような目をしていて私の顔を見ても何の反応も見せない。
笑うと可愛いだろうと思われる大きな目をした子にいつかまた笑顔を取り戻せるだろうか。
引き取るたびに心をかすめる不安。それより大きな期待を私はいつも抱いている
完全なるネグレクト。
母親はシングルマザーで最初はがんばって育児をしていたらしい。それでも精神的に追い詰められとうとう子どもがいるアパートには帰ってこなくなった。
突然帰ってこなくなった母親をずっと待ち続けたのだろう。
近所の人からの通報で警察とともに向かった部屋には横たわった菜々美がいた。
その横には誕生日プレゼントと聞かされている小さなクマのぬいぐるみがあった。
しばらく入院することになりその間に母親を探して貰ったが母親は育児ができる状態では無かった。
そして私の園に仲間が一人増えた。
初めて園に連れてきた時菜々美は何も話そうとはしなかった。
何もかもを諦めてしまったような瞳。
クマのぬいぐるみをしっかりと抱きしめ緊張からか表情がいつも以上に固い。
その瞳を見た小学6年生の優すぐるがいち早く反応したこの子は聡い子だ。
本能的に相手の欲しているものを見抜く。 それを本人は自覚がない。
お仕着せの感じを相手に与えないので小さな子達から慕われている。
優はその日から菜々美の世話を焼くようになった。
今の菜々美には優の優しさが必要なのだ。
嫌がる事もせず、かといって喜んでいる訳でもない表情で優の傍にいる。
小さな心は深く傷ついている。 なかなか笑ってくれない菜々美に優は根気よくその日学校であった話をし一緒にご飯を食べたりお風呂へ入れたりと可愛がっている。
微笑ましいと思うが痛々しさを拭いきれないのも本心だお互いの傷を癒すように一緒にいるのだから。
菜々美がここへきてから半年が過ぎようとしていた。
一匹の子猫が庭に迷い込んで来た。
それを菜々美と一緒に見つけた時菜々美は子猫をみて不思議そうな顔をして私を見上げたのだ。
そうか。子猫に興味があるんだね。少しずつ意思表示が出来るようになってきていたのは知っていたがここまで興味を惹かれている菜々美を見るのは初めてだった。
子猫のそばにそっと近づいた。最初は私の後ろから子猫を見ていたが、何もしない事が分かったのか自分から恐る恐る手をのばした。
「菜々美。子猫だよ。きっと菜々美より小さいよ。お母さんと離れて迷子になってしまったのかもしれない。しばらく傍にいてやれるかい。
そう聞くと菜々美は小さく頷いた。
菜々美をしばらく子猫と二人きりにして様子をみることにした。
物陰から見ていると優が学校から帰って菜々美を探していたのだろう。
私に話しかけそうになるのを手で制し、静かに菜々美の様子を見るように即した。
優は驚いたような顔をして菜々美をしばらく見ていたが目から大きな涙を流し始めた。
自分は子猫ほどの力が無いと私に訴えるが、私はそうは思っていない。
菜々美が子猫に愛情を注ぐ事が出来るようになったのは優の存在が大きい。
何の見返りも無い自分への愛情を菜々美は一心に受けていたのだから。
でもあえて優には言わないでおこう。
もう少し成長した時、本人がきっと気付くはずだ。
それにまだまだ菜々美には優が必要だろう。
優と一緒にいる菜々美はとても柔らかい表情をしている。
そのことを優は気付いてないようだが、少しずつ菜々美は優に心を開きかけている証拠だ。
優は自分にも笑って貰えるようになりたいと泣いているがその望みはきっとそんなに遠くない時期に叶えられると私は思っている。
君たちはこれからもずっと他の子達より荒波を生き抜かなくてはいけない。
その力を少しでもたくさんつけて欲しい。
私も期待しているのだよ、君たちの未知への可能性を。

あの笑顔を守るために(笑顔シリーズ1)

冬の厳しい寒さの中、3才くらいの女の子が僕が世話になっている施設にやってきた。
その子の名前は菜々美と言った。
その時僕は小学6年生。

菜々美の目には光が無かった。
何もかもを諦めたよな自分にも身に覚えのある瞳をしていた。
ここに来る子どもは心に何かしらの傷を負っている。
だからお互い何も聞かない。

菜々美には表情が何も無かった。まるでお人形さんのよう。
僕は菜々美がどうしてかその日から気になって仕方がない。
だからなるべく菜々美の傍にいて世話を焼いた。
その日の学校であった事やこの施設の事をいろいろ話をした。
聞いているのかいないのか分からなかったけれどなるべく楽しい話を聞かせた。
菜々美は笑わないし話さない。

笑うと可愛いのに、声を聞きたいのにと僕の願望は膨らむけれど菜々美はお人形さんのままだった。

ここの園長は自分達をまるで自分の子どものように叱ったり褒めたり、時には一緒に鬼ごっこをして遊んでくれる。
そして僕達にいつも言うんだ。

「たくさんの事を学びなさい。人には優しくするんだよ。そして君たちの可愛い笑顔を私に見せて欲しい」

菜々美もそんな園長の言葉を何度も聞いている。

菜々美が来て半年が過ぎた。
僕は公立の中学校へ通うようになったため小学生の頃から比べたら帰る時間が遅くなり、勉強も忙しくなってきてなかなか菜々美と関われない日が続いていた。

それでも一緒に夕飯を食べ、時々お風呂にも入れていた。

ねえ、菜々美。菜々美はどうしたら笑ってくれるんだろう?
今までずっと小さい子の面倒は見てきたから菜々美の面倒を見る事も苦では無かった。
むしろ楽しかった。

そんなある日。テスト週間でお昼前に帰った時、早速菜々美の姿を探した。
物陰に隠れて何かを見ている園長が庭の片隅にいるのを見つけ声をかけようとしたら、いち早く僕の姿に気づいた園長が自分の口に人差し指を立て「しぃ」と声に出すこと無く言う。
手招きされて静かに園長の隣へ行くとあっちを見てごらんというように指を差された。視線をそこに向けると、どこからか迷い込んで来た野良猫と菜々美の姿があった。

菜々美はペタンとおしりを地面に付けてその猫の頭をなでている。
まだ子猫のようで身体が小さく心もとない。
そんな子猫をいたわるように身体をなでる菜々美。
子猫がペロンと菜々美の手を舐めた瞬間、菜々美が小さな声で笑った。

あの菜々美が笑ってる。
僕が何をしても笑ってくれなかった菜々美が子猫を相手に笑っている。

僕は気付かないうちに泣いていた。
「僕、あの笑顔を守りたい。僕の力はあの子猫にかなわないけど僕がんばりたいんだ。いつかあの笑顔を僕に見せてもらえるように。。。」

隣にいる園長をみると僕をみて微笑んでいた。

いつかきっと僕にもあの笑顔を見せて貰うんだ。
だから勉強もスポーツも何だってがんばれる。

ねえ、菜々美。
いつか僕にもその笑顔を見せてね。
 
                       了

2015年10月22日木曜日

木のてっぺんに登ったら(それぞれの願い3)

 まだ朝靄がけぶる中一匹の小柄な白ネコが川沿いを歩いていた。何か目的があるのかその足取りに迷いは無い。
少し薄汚れている胸元には小さな骨がぶら下がってる。
ふと白ネコが何かに気付いたようにその足取りを止めた。周りを見渡す。
ここは自分が幼い頃捨てられていた場所。寒さと恐怖に震えた記憶が蘇った。と同時に温かい記憶も蘇る。初めて生き抜く事を教えてくれたカラスとの出会いの場所。
そこに自分が捨てられていた段ボール箱は無い。あれから5年の年月が経った。
じっと動かなくなった白ネコは遠い目をしていた。少しもの想いに浸っていたようだ。
自分が捨てられていたのとは反対の季節だというのに時折吹く風の中に良く似た空気の匂いがそうさせてしまった。
白ネコは我に返ったようにまた歩き出した。
しかしやはり何かが気になるのか何かを探しているようにも見える。少し坂を下り川に近づいていく白ネコ。
つゆ草が生い茂った影に親からはぐれたのだろうか一羽の鳥の雛が羽根をばたつかせ、か細い声で鳴いていた。
しばらく自分を見上げてくる雛を睨みつけ白ネコは問いかけた。
「生きたいか?生きたいなら僕についておいで。それともここでのたれ死ぬ?」それだけを言うと白ネコは雛に背を見せ再び目的地へと足を向けた。
雛はしばらく考えたが意を決したように細い2本の足で転がるように白ネコを追いかけた。雛が初めて自分の意思を持った瞬間だった。
必死で置いて行かれないようまだ飛ぶことのできない未熟な羽をばたつかせた。
それでもどんどん距離が離れていく。そんな無防備な雛はいつ他の動物に狙われるかもしれない。当の白ネコに食われてしまうかもしれないのに。何かにすがるように雛は白ネコを追いかける。とうとう白ネコの姿が見えなくなってしまった。もう足は疲れ切って動けない。ピーと一声鳴き白ネコが行ってしまった方角を見つめていた。再び孤独になってしまった雛。空にはそんな雛を狙うトビが旋回していた。
それを感じた雛は恐怖で足がすくみながらも隠れる場所を探す。探す事に気を取られていて周囲に意識が行かなかった。
いきなり後ろから自分の身体を咥えられ地面が飛ぶように流れるのを見て絶望感を覚えた。
それでも必死でもがき逃れようと足や羽をばたつかせる。助けて助けてっ。やだやだっ。
無我夢中で暴れる雛はつい今しがた自分に問いかけた声を聞いた。
「静かにして。落ち着いて。暴れたら落してしまう。あいつに食われたいの?」
もしかしたら自分を食べてしまうかもしれない白ネコの声を聞いて安堵する自分が不思議だった。
白ネコは川沿いをしばらく走ると突然止まり雛を地面に落した。落した雛には目もくれず一点を目指して歩きその場へ座る。追いかけていいのか分からず雛はその場所から動けない。
そこは子猫だった自分と一緒に過ごしたカラスが死んだ場所。
ただの土と化してしまったカラスのお墓。
一点を見つめる白ネコの背中は寂しそうだ。
雛はそっと白ネコに近づき横に並んだ。白ネコの顔を窺っていると突然後ろから声がかかった。
「やあ、白ネコ君。お墓参りかい?…ってその横に居るのは君の食糧…なのかな」終わりになるほど声に戸惑いが混じる。
白ネコは雛を咥え、人間の前に置きその場を後にして歩き出した。
人間はその背中を見送りしゃがみこんで雛を観察する。
「僕が触ったら親鳥が来ないかなあ。でもすでに猫の匂いがついてるからやっぱり来ないかも。僕にどうしろっていうんだよ、ネコ君。もしかして骨を黙って持ち帰った時の腹いせかい?ねえ、雛君。僕の所へ来るかい?」一人ごと言っているようにしか見えない人を雛は不思議な顔で見上げている。
「雛君、君は生きたいと思ってる?そうならその手助けをしようじゃないか。僕の家に帰ろうか」雛は人間の手の中に大人しく収まった。
「まずは何の雛か調べないとね」そう言いながらその場を立ち去る人間。
ずっとここにあるカラス。白ネコの原点がここにはあった。
それから数カ月後、白ネコは雛と再会した。それはいつもの散歩中のことだった。
「おーい、白ネコ君。久しぶりだね。こいつを覚えているかい?立派になったろう?」と人間の肩に止まっている黒い鳥。
驚いた白ネコは思った。これはカラスのいたずらだろうか?
そんな事を思っていると突然人間の肩から飛び立った鳥が白ネコの背中に乗った。追い払おうと動いた瞬間羽を広げ宙を舞う。再び背中に乗ろうとするのを阻止する白ネコ。傍から見たらただのじゃれあいにしか見えない。白ネコは心の隙間が少しずつふさがったような気がした。ずっと何かが足りなかったものが満たされたような温かいものが流れてくる。
その日以来、ネコの集会場には1羽の若いカラスが混じるようになった。いつも白ネコの傍から離れずいるくせにいつの間にかどこかへ消えていくカラス。
「やあ!白ネコ君とその仲間たち!」と声をかける変な人間も健在だ。
少し違うのはその人間の肩にカラスが居たり居なかったりすることだ。
通りすがりの車のラジオから聞こえるのはスカイツリーの話題。
白ネコは思った。いったいどんな木なんだろう。てっぺんに登ったらカラスが逝ってしまった空に少しは近付けるかもしれない。だったら一度見てみたい、そう思いながらまどろんでいた。意識が夢の中に入る瞬間どこかでカラスの鳴き声と懐かしいぬくもりを感じた。
                        了

ずっと一緒(それぞれの願い2)

新しい第一歩を踏み出すには切っ掛けが必要だったようです。
それには小さな小さな心の傷が伴いました。

僕は変わり者らしい。猫の仲間からよくそう言われる。
僕の首に付いているものと僕に話しかけてくるあいつのせいだ。
僕の首には小さな白い骨の首飾りがある。肌身離さずずっと付けている。
これは人間から貰ったものだ。正確にいえば作って貰ったって言うのが正しい。

あの日からずっと川沿いで寝ていた僕を見ていた人間が居たんだ。
その人間と初めて会った時、もう日は暮れた初夏だった。 
人間はいつも僕が寝ている場所に座り込んで下を向き何かをしていた。
僕はその姿を見た時身体が硬直して動けなかった。

(な、、、何してるの?取らないで。僕の大切な場所を取り上げないで!)声が出せなかった。

怖くて動けなかった。
この場所を取り上げられたら僕はどうしていいか分からない。

人間が振り返り、動けなくなった僕を見つけた。もうおしまいだと思った。
僕が僕であり続けられる場所を失ってしまう。どうしよう。どうしたらこの場所を守れるの?
人間がゆっくりと僕の方に歩いてきた。僕は出来る限りの威嚇をした。毛を逆立て唸った。
人間の歩みが止まった。

(早くどこかへ行っちゃえ!僕の前から消えて居なくなってしまえ!)必死だった。
それこそ死に物狂いで威嚇したんだ。
人間がその場に座り手を伸ばしてきた。

(そ、、、それ以上近づいたら引っ掻いてやる!)僕がいくら威嚇しても人間はその場から動こうとせず、それどころか話しかけてくる。背中を逆立て唸る僕。

しばらくその状態が続いた。

人間が立ち上がり「今日は帰るよ。明日も来るからね、ネコ君」そんな言葉を残し立ち去った。
(もう来るな!二度と来るな!)
人間が立ち去ってから慌てていつも寝ている場所に行った。何も変わった所は無かった。
安心して眠った。

それから毎日毎日同じ時間に現れては僕と対峙していた。僕は負けまいと頑張った。
頑張ったけどだんだん疲れてきた。
疲れてきた上にあいつは卑怯な手を使ったんだ。僕の鼻先にやたら良い匂いのする細い棒を持ってくる。
もう腰砕けだった。夢中でその棒にじゃれ付いた。人間はそれ以上何もして来る事は無くただ微笑んでいた。
その顔が優しそうだと思ったのはきっとこの棒のせいで僕がおかしかったからだ。

その日以来、食べ物も貰った。最終的にはあいつの手から食べるようにもなっていた。
いつもの様にあいつの手から食べているとあいつが言った。
「ねえ、ネコ君。いつもネコ君が守っている骨、あれってカラスだろ?あのカラスの骨を1つだけ持って帰っても良いかな」
食べることに夢中で何を言われているのか分からず にゃあ と一声だけ鳴いた。
あいつは僕の頭を一撫でして、骨の所に行きポケットに骨を1つだけ入れてそのまま帰って行った。
ただその行動を見ているしか出来なかった。我に帰った時には骨を持っていかれた後だった。

どうしよう!あいつ持って行っちゃった。始めからそのつもりだった?例え1つでも許せない。
何で?何で僕の大切な物を持って行っちゃったの?僕がばかだったんだ。
食べ物やまたたびに釣られて大切な物を1つ失くしてしまったんだ。
返して。返してくれよ。お願いだから取り上げないで。

僕はカラスを探し出してから、この場所を離れることが出来なくなっていた。
ここだけが安心できる場所になってしまった。その1つが無くなってしまった。その夜眠れなかった。
不安で怖くて眠れなかった。
人間は骨を持って帰ってから現れなくなった。信じるんじゃなかった。
こんな事になるなら気を許すんじゃなかった。
ずっと眠れない。何日もまともに眠れなかった。

 その日はどこにも行かず横たわっていた。体力の限界もあったけれどここを少しでも離れたくなかったから。
何かがそうさせていた。また僕の大事なものを取られてしまうかもしれない。
いつの間にか眠ってしまったらしい。

「ネコ君大丈夫かい?これ食べる?あとね、プレゼントを持ってきたよ」その声に薄らと目を開ける。
やっぱり優しく笑っている顔だった。

(また僕をだましに来たの?優しい振りをして今度は僕をどうするの?)何だかどうでもよくなって再び睡魔に身を任せた。
「ネコ君何だか痩せたね。もしかして僕のせいかな。ねえ、目を開けて。そうだミルクもあるよ」
少し開いた口からミルクが流れてきた。お腹のすいていた僕は夢中で飲んでしまった。
「良かった。ねえ、ネコ君が元気になれるプレゼントがあるよ。見てくれる?」そう言ってポケットから
白い小さいものを取り出し僕の目の前に持ってきた。
にゃあ!
それは盗られたと思っていた骨だった。その骨には紐が付いていた。
「ネコ君が大切に守っているのを見て思いついたんだ。こうやって加工して首に付けられるようにしたんだよ。
君は飼いネコじゃないから首輪はだめだろうと思って紐にしたよ」そう言いながら僕の首に付けてくれた。
「ほら。これでいつでも君の大切なカラス君と居られるよ。例えここを離れてもずっと一緒だ」そう言ったあいつの顔を見上げればやっぱり優しい顔で笑っていた。
にゃあ!嬉しくて鳴いた。

それからというもの僕に猫の仲間がたくさんできた。
毎日が楽しくて仕方がない。仲間って良いな。ずっと一緒にいたいよ。今日もその仲間たちとお昼寝中。

「やあ!ネコ君とその仲間たち!」そう言って手を振って来る人間がいる。僕は尻尾だけ振って答える。

僕の首には小さな白い骨の首飾りがある。

『ずっと一緒だよ』
                            了

ふたつの願い(それぞれの願い1)

願い事を一つ願うとしたらあなたなら何を願いますか?
これは小さくても大切な願い事をした捨て猫と独りが好きだったカラスの物語です。

   (1)
とある小さな町に流れる小さな川沿いに段ボール箱がポツンと置かれていた。
中には白黒茶にぶちに三毛と5匹の子猫。
そこ行く大人達はそんな子猫達を見て見ぬ振りで通り過ぎる。
子ども達も覗いて見るもののなかなか拾ってはくれない。
力を合わせて生き抜こうと箱の中で身体を寄せ合う5匹の子猫。
時々、パンや水を与えてくれる人間たち。
でも暖かい場所は与えてはくれなかった。

今は秋。
時折冷たい風も吹く季節。
5匹の子猫達は寄り添い暖を取る。
捨てられてから三日経ち四日経つ。
その頃になると心ある人間に拾われていく兄弟たちも出てきた。
最初に拾われたのはぶち。次に三毛とそれぞれ暖かい場所を見つけた兄弟達。

とうとう最後の一匹に。
残ったのは白。薄汚れて誰も見てくれない。
「にゃあ」と可愛く鳴いてみても暖かい場所にありつけない。
ある日カラスが子猫に声をかけてきた。
「よう。お前こんな所で何しているんだ?」
子猫の頭上をバタバタと飛び回る。子猫は初めて見たカラスに怯えた。
「けっ。情けない面しているなあ」そんな事を言いながらカラスは子猫の前で見せつけるように
持っていたパンを食べ始めた。
子猫は何も言わない。言えない。ただただカラスが自分に飽きてどこかへ行ってしまうまで静かに大人しく。
「くぅ。うまかった。しっかしつまんねえ奴だな、お前。口利けないの?」
そう言ってどこかへ行ってしまったカラス。
また独りぼっちになってしまった子猫。何か話せば良かったのだろうか。
お腹がすいたよ。寂しいよ。ただただ子猫は繰り返すしかなかった。
カラスが飛び去った後を見ると食い散らかされたパン屑があった。子猫はそれを食べて今日を何とか生きながらえる。

 「にゃあぁぁ」

誰もいなくなった夕暮れ時。少し肌寒い。
どうして独りぼっちなの?僕はどうしたらいいの?夜は怖いよ。寒いし寂しいよ。
「にゃあにゃあにゃあ」
何時間も鳴き続けた白ネコはいつの間にか疲れて冷たい段ボール箱で眠る。
体を小さく丸めて眠る。そんな日がいつまで続くのか。


     (2)
カラスのオレは兄弟の中で一番の落ちこぼれだった。
生まれたのも5個の卵のうち最後だったし身体は小さく弱かった。
親の運んでくれる餌にもありつけないことも多々あった。
でもオレも他の兄弟に負けないよう必死に餌を貰ったさ。小さい身体は不利だ。
まあ、不利は不利なりに成長した。独り立ちも出来て万々歳だ。
独りは気楽。オレは独りが好きだ。

勝手気ままに過ごして2年が過ぎた頃、川沿いで段ボール箱の中で5匹の子猫が必死に身を寄せ合っているのを見つけた。
「あ~あ、捨てられたんだなあ。オレには関係ないけどねぇ」そうつぶやき段ボールのはるか上空をくるくる回ってそのままどこかへ行ってしまった。

数日後再び川沿いを飛んでいたカラス。段ボール箱を見つけて、そういえば子猫が
捨てられていたんだっけ、と近づいた。
箱の中には白ネコ一匹しか残っていなかった。
(うわっ、何だか弱々しいのが残っている。しかも汚いし)

「よう。お前何しているんだ?」気まぐれに声をかけたカラス。しかし返事は無い。
じっと見つめられて居心地が悪い。

(おいおい、そんな真っ直ぐな瞳で見るなよ。見透かされているようで落ちつかねえ)

「けっ、情けない面しているな」やっと声に出す事が出来た一言だった。
「ま、いっか。ここで腹ごしらえするか」ぶつぶつと独り言を言いながら持っていたパンを食べ始めた。

子猫の腹の虫がきゅるるぅと鳴った。

(こいつも腹すかしているのか。そんなに見つめられたらオレの体に穴が開きそう。食い辛い。
分かった、やるよ。半分やる)

「くぅ。うまかった。しっかしつまんねえ奴だな、お前。口利けないの?」
カラスは早々にここから飛び去ることにした。
「はあ。オレの飯・・・」
上空から子猫の様子を見ていたカラスは必死に自分の残したパンを食べる姿を見て何かしら放っておけないものを感じていた。


     (3)
次の日も子猫のもとにカラスがやってきた。
子猫は昨日と同じように段ボール箱の中にいた。
「まだ居る。おいっ、こんな所で何やっているんだよ」カラスが話しかけるが子猫は答えない。
「ちっ。まただんまりか。可愛くねえ」
カラスは子猫の前でまた餌を食べ始めた。
その姿を子猫はただただ見ているだけ。何も言わずに見ているだけ。
カラスは今回もまた半分だけ食べ残して飛び去った。
そして子猫は生きながらえる。カラスの食べ残しで生きながらえる。
そんな姿をはるか上空からカラスが見ているとも知らないで。
親の保護が必要な子猫に生きる術はない。
ただただ震える。怖くてどうしようも寂しくて震える。
それでも一日生きながらえた。
明日は少しここから出てみようか。

ねぐらに帰ったカラスはさっきの子猫を思い出す。
何も話さず自分をじっと見つめる姿がやけに印象に残る。
明日はどんな食べ物を持って行こうか考えながら眠った。
それが何を意味するかも気付かずに。


       (4)
子猫とカラスが出会ってから三日目は雨だった。
秋の長雨は降り出したらなかなか止まない。気温もどんどん下がる。
子猫は段ボール箱の中でただただ震えて雨が止むのを待つだけ。
意識がどんどん遠くなる。雨に体温を取られて体力も限界だった。
遠のく意識の中で黒い影と共に雨が止んだような気がした。
どこかで聞いた事のある声が聞こえた気がしたけれどそのまま意識を手放した。
子猫はほんわかとした温かい夢を見ていた。母親のぬくもりに包まれた幸せな夢。


      (5)

子猫との出会いから三日目の朝カラスが目を覚ますと雨がしとしとと降っていた。
「雨だ。濡れるのは勘弁」このまま寝て過ごす事に決めた。しかし眠気は一向に訪れなかった。
それどころか気持ちがざわついて落ち着かない。
「あぁ、もう!何でこのオレがあんな薄汚いネコが気になるんだよ!ちくしょう・・・」
どこにぶつけたら良いのかわからない感情そのままに子猫のもとへ飛んで行った。
子猫は小さく丸くなって箱の片隅で雨に打たれながらぶるぶると震えていた。
「おいっ。目を開けろ!」子猫からの反応は無い。それどころか命さえも危ない状態だ。
「こんな時どうすりゃいいんだよ!えぇっと、そだ。まずは雨を防がないと。寒いのか?寒いんだよな?」
おろおろとしながらも羽を広げて雨を防ぎ、子猫の身体に寄り添い体温を与える。
(はあぁ。オレ何やっているんだろうな)

ようやく雨が上がった。
にゃあ。
子猫の声が聞こえた。カラスは自分のしている事が急に恥ずかしくなり
「おっ、気がついたか。お前大丈夫かよ」
それだけ言うのが精一杯で慌てて飛び去った。
しかしカラスは心の中がぽかぽかするのを感じていた。
今まで感じたことのない気持ちを味わっていた。
そして明日も子猫に会いに行こうと思ったのだった。

     (6)
子猫が気がついた時に感じた温もりは雨がやむまで傘の代わりをしてくれたカラスの温もりだった。
いつの間にかカラスに対する恐怖心は無くなっていた。
そして子猫は生きながらえた。

この時を境に子猫は強くあろうと必死になった。
いつまでも震えているだけじゃだめだ。
鳴いて寂しいと訴えているだけじゃだめだ。
お腹が空いたらエサを探そう。寒かったら風を凌げる場所を探そう。

次の日カラスはそんな姿の子猫を見て何かを感じたようだ。
決して素直では無かったけれど子猫が生きていける力をつけるためいろいろ教え始めた。出来る事には手を貸さなかった。
ただ一つを除いては。

子猫はどんどん成長した。半年も経った頃、子猫は子猫じゃなくなった。
立派とは言えないまでも大人へと成長した。
もうカラスの手を借りなくても独りでも生きていけるだけの力を付けた。
カラスは自分の体とそう変わらない大きさの白ネコになっても止められない事があった。
これを止めてしまったら自分の中で何かを失うような気がして止められなかった。
そして今日もカラスは半分だけ自分の餌を残して飛び去った。残された餌は白ネコがこっそりと食べる。
カラスが飛び去るのを見届けてからこっそりと。それを上空からカラスは見守る。


      (7)
白ネコとカラスが出会ってから一年が経とうとしていた。
その頃からカラスは自分の体調の悪さに気づいていた。
カラスは白ネコの元へ行く回数が日に日に減っていく。
真っ直ぐに飛べない、飛ぶと胸が苦しい。
そんな中、一週間ぶりに白ネコの元へ行った。餌を食べて飛び立つだけの行為。
それすらも必死だった。今回も半分だけ餌を残して飛び去る。

苦しい。もう飛び続けることが出来ない。限界だった。
気がつけばそこは初めてカラスが白ネコに出会った場所。

「あぁ、懐かしいな」

そこに段ボール箱はすでに無い。
カラスは空から落ちるようにそこに降りた。再び飛び立てる体力は残っていない。
だんだん意識も遠くなる。
そんな中考えるのはやっぱり白ネコの事。勝手に世話を焼いて勝手に幸せを感じていた。
自分のために白ネコに関わった。
白ネコといると楽しかった。
自分が必要とされているようで嬉しかった。
もう自分はだめだろう。だけど白ネコは独りでもしっかり生きていける。
そう思うとやっぱり幸せだった。
心は満たされていた。
気になるのは自分の死をどう思うだろう。
突然いなくなった自分を心配してくれるだろうか。忘れてしまうだろうか。
それでも構わない。白ネコが生き続けてくれるなら。

『どうかあの子が幸せでありますように』

眠るようにカラスは目を閉じた。風がカラスの身体を撫でつける様に労るかのように吹いていた。


      (8)
白ネコはカラスの姿を最後に見た日、なぜか不安を覚えた。
いつもと変わらない風景だったのに何が違ったんだろう。
飛び去る姿をいつまでも目で追っていた。
白ネコはとうに気づいていた。初めて雨に降られて震えているしかなかった自分。その時に気がついた。
カラスがわざと餌を半分残していく理由。でも何故自分で餌を捕れるようになってからも続いているんだろう。
カラスは何も言ってはくれない。

カラスが現れない。昨日も今日も。どうして?そんなことを考えているうちに一週間が過ぎ十日が過ぎる。
とうとう1カ月が経ってしまった。
白ネコはカラスを探した。探したけれどどこにもいなかった。来なくなった理由を白ネコは知りたいと思った。
何故何も言わず現れなくなったのか。
少しずつ探す範囲を広げ、気が付けば自分が捨てられていた場所にたどり着いていた。
探し始めて半年。やっと白ネコはカラスを見つけた。

白い骨になってしまっていたカラスを。

白ネコは「にゃあ」と一言だけ鳴いた。
その夜カラスの傍で眠った。次の朝白ネコはそこにいなかった。
夜になるとどこからともなく現れてカラスの傍で眠る。
カラスは独りで寂しくなったのだろうか。寒くなかったのだろうか。何故独りで逝ってしまったのだろうか。
何故自分は気づいてあげられなかったのだろうか。独りの寂しさを誰よりも知っていたはずなのに。
白ネコは願った。空に向かってどうか一つだけお願いを聞いてと。

『ありがとうと伝えて。僕は幸せだったと伝えて』

白ネコは空に向かって一声だけ鳴いた。
そして今夜もカラスの傍で眠る。    
                            了